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[目] 宇都宮市保健所で収容している動物の情報 [犬][猫]

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大施餓鬼会2019 延命院 [歴史・祭り・イベント]


7月24日(水)

今日の宇都宮は

もくもくと雲が出てきましたが晴れ間が出てきて

最高気温は31.5℃まで上がり暑かったですね[曇り][晴れ]

夜になって雨が降ってきました[雨]


さて今日は、下野新聞本社前、亀の甲坂南側にある

延命院に行ってきました[位置情報]


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延命院は、泉町にある真言宗智山派のお寺で

前方後円墳の名付け親 蒲生君平修学の寺として知られていますね。


延命院では今日、大施餓鬼会(せがきえ)が行われましたよ[ひらめき]

餓鬼とは、生前の悪行により亡者の世界に落とされた魂や

無念仏となっている霊や魂のことで

常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指し

餓鬼に食べ物、飲み物などの

供物を施し供養を行う法要が施餓鬼会です。

今年もたくさんの檀家さんが集まっていましたよ。

夏休みなので小さなお子さんも来ていました。


施餓鬼会の前には、施餓鬼供養和讃の練習や

講演会も行われましたよ[ひらめき]


今年の講演会は、「延命院を知っていますか」というお題で

延命院についていろいろお話を聞くことができました。


延命院は、宇都宮中心部の東から西に3段の階段状になっている

3段目の宝木台地にあり

宝木台地は地下水に恵まれているおかげで

江戸時代には武家屋敷ができ日光街道と奥州街道の追分に位置する

伝馬町、新石町、本郷町が栄えたこと、


延命院の山門前の細い道は、日光に家康の墓ができる以前の

山岳仏教の修行の場であった日光山へ行く旧道だったこと


延命院は宇都宮氏の開祖藤原宗円が延命地蔵尊を奉持し

宇都宮城内に地蔵尊を本尊とする宝錫寺(ほうしゃくじ)を建立したのち

17代城主宇都宮成綱(しげつな)の時に宝珠寺延命院と改め

江戸時代(本多正純が城主の時)宇都宮城の拡張と市街化整備により

現在の地に移ってきたと今までの延命院のしおりには書いてあったが

慶長元年(1596年)22代宇都宮城主国綱の時代に

城内から現在の地に移ってきたこと


延命院の山号「摩尼」とは、梵字のmaniの音写で

無垢・離垢・如意珠と訳し宝珠の総称であること


延命院の地蔵堂、大門、二十三夜堂、鐘楼堂などの屋根が

昔は大谷石の石屋根だったこと

(山門脇の小堂は現在も石屋根)


延命地蔵堂を作ったのは、永野万右衛門ではなく

その娘婿徳左衛門であること


昭和56年宇都宮市教育委員会発行の「宇都宮の名木」に

延命院のカシの木が掲載されていたが現在はないこと

(高さ11m、太さ2.3mのカシの木が

南東墓地内にあったそうです)


延命院の先代住職 小針孝哉(こうさい)先生は

東京帝国大学文学部インド哲学梵字学科卒業で

作新学院短期大学助教授や宇都宮大学教育学部講師、高校教師などを勤め

イギリスのイザベラバード著「明治初期の蝦夷探訪記」を

昭和24年に読み恩師である川上澄生先生のすすめで

北海道の部分を訳したこと

そして、萩原延寿氏や塚田泰三郎氏とも交友があったこと


などなど盛りだくさんのお話で面白かったです[るんるん]




施餓鬼会の後には、毎月24日に御開帳されている

地蔵堂の木造地蔵菩薩立像もお参りしてきましたよ。


地蔵堂も山門も大谷石の石屋根だった頃に

タイムスリップしてみてみたいですね[目]




7月24日 お会いできた猫さん 3匹

窓際の 白茶猫さん

おばあちゃんと散歩 白猫さんと白茶猫さん


石屋根で ゴロリンお昼寝 江戸の猫[猫]



~今日のルルルくんたち~


朝からのびーっとしてました[猫]




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