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常念寺 彰義隊数士之墓 [歴史・祭り・イベント]
4月16日(月)
今日の宇都宮は
晴れて最高気温が19.7℃まで上がりましたが
午後は雲が少しづつ増え夕方には風が強くなりました
さて、戊辰戦争 宇都宮城攻防戦があったのは
慶応4年4月19日・23日(1868年5月11日・15日)です。
今年は明治改元150年ですし
宇都宮城攻防戦があった日にも近くなってきたので、
戊辰戦争に縁のある常念寺のご紹介をします
常念寺は、宇都宮上下水道局より少し南側で
旧奥州街道沿いにある亀井の水の向かい側にあります。
戊辰戦争時にはこの付近でも戦闘があり常念寺は焼失しているそうです。
現在は、立派な山門(楼門)が建っていて
山門下にはにっこり笑顔のお地蔵さんの車止めがありますよ。
楼門の説明書きによると
常念寺は亀井山清水院常念寺と号し浄土宗に所属し
慶長17(1612)年宇都宮城の南、旧奥州街道の下河原に
良正上人によって開山されたのだとか。
芳賀郡大沢(益子町)の円通寺の末寺でご本尊は阿弥陀如来だそうです。
2011年の開山400年と法然上人800年御遠忌に合わせて
建立された楼門内には長寿観音菩薩が奉られており
楼門をくぐる人にその御利益を受けていただきたいという
願いが込められているんですって。
参道には六地蔵、水子地蔵尊、印度独立の碑、長寿観音などが並んでいます。
本堂の向かって左側(南側)には、十九夜様(如意輪観音)がたくさん並び
その南側には「彰義隊数士之墓」があります。
「彰義隊数士之墓」は、戊辰戦争で戦った旧幕府軍の戦死者のお墓です。
「彰義隊数士之墓」は、もともと宇都宮城内(南館付近)にあったそうですが
明治27(1894)年に池上町などの貸座敷を旧宇都宮城南館(新地)に移転させ
亀郭を建設することに伴って常念寺に移されたそうです。
彰義隊とありますが、宇都宮で彰義隊が戦ったどうかは定かではないようで
23日にこの付近で薩摩藩と衝突した御料兵の可能性が高いようです。
宇都宮藩の書物には彰義隊が戦ったと記載されているものもあるのですが
実際にこの地で戦った御料兵の記載は残されていないとのことで
宇都宮藩では御料兵を彰義隊と認識していたのかもしれません。
こちらが彰義隊数士之墓です。
宇都宮らしく大谷石の墓碑のようですね。
向かって左側の面には、明治七年四月 角田氏 登坂氏 建之とあり
右側には文が刻んでありますよ。
苔が生えていたり崩れていたりと読みづらい文字もあったので
常念寺のご住職に伺いましたが碑文については資料もなくわからないそうです。
何度か通って調べてみたら光の当たり具合によっては意外と読めました
数士姓名不詳戊辰夏戦死此
地里人埋之今已七年為敵樹
之何以〇改恨在慰幽魂也
このように縦に3行書いてあり2行目まではほとんど読めますが
3行目の何以の次の文字だけは崩れてしまってどうしてもわかりません。
でも文法的&文脈的にに考えると
まず可能または使役の助動詞として使われる文字で
内容から推測して「~できる」「~させる」という意味の
文字を入れるとするならば
「~できる」を意味する可能の助動詞「得」か
「~させる」を意味する使役の「使」という文字がいいのかなと思い
とりあえず「得」を当てはめておおまかに訳してみました。
数人の隊士は姓名がわかりません 戊辰の夏にこの地で戦死しました
地元の人がこの戦死者を埋めました あれからすでに7年が経ちます
どうしたら幽魂を慰めることができるであろう、
在ったであろう恨みを改めることができるだろうか…と思い
敵のためにこれ(彰義隊数士之墓)を樹てました
つたない素人の訳ではありますがこんな感じではないのかなと。
角田さん、登坂さん 合っておりますでしょうか?
宇都宮では敵であった旧幕府軍の戦死者を埋葬したお墓は
六道の辻(戊辰役戦士墓)、光琳寺(桑名藩士の墓)、
幕田町(戦死士十七名霊)にもあります。
一向寺には、戊辰役六道口戦死者を含む「無縁之精霊・納経供養塔」
五劫思惟阿弥陀如来坐像もありますね。
近くに立ち寄ることがあれば、お参りしてみてください
常念寺
宇都宮市花房1-6-20
4月16日 お会いできた猫さん 1匹
走る チリリちゃん
常猫寺
~今日のあずちゃん~
ミニーちゃんが甘えたらフニャーっといってました
2018-04-16 23:45
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