大谷石の大きな野球ボール ~宇都宮常設野球場記念碑~ [人気記事]
12月17日(月)
昨日のあたたかさはどこへ行ってしまったのか
今日の宇都宮は
また寒さが戻り雨も降りました
さて今日は
宇都宮常設野球場が閉場した日です
宇都宮常設野球場は
昭和7年4月17日に横川村江曽島
(現在の宮の原小学校)に建設されました。
宮の原小学校の正門近くには
こんな大谷石の大きな野球ボールがのった
記念碑があるんですよ
宇都宮常設野球場記念碑です
象徴ともいえる大谷石の野球ボールが
とても宇都宮らしくていい碑ですね
平成16(2004)年3月30日に建てられた
こちらの碑によりますと
宇都宮常設野球場は
敷地は6、150坪、(約20、330㎡)
収容人員は20,000人
昭和35年12月17日に閉場していますが
昭和期前半は
宇都宮市の拠点的なスポーツ施設として
スポーツを愛する人々の憧れの球場だったそうですよ。
そして、なんと
昭和9年11月5日神宮球場から始まり15試合行われた
日米野球の最終戦が
宇都宮のこの球場で行われています
昭和9年の12月1日、宇都宮常設野球場で
ベーブルースをはじめとする大リーガーオールスターチームと
沢村栄治投手ら全日本と日米野球戦が行われたのです
昭和9年12月の下野新聞を調べてみましたが
結果は載っていなかったので
(11月3日版に世界最強チームを編成した米国からの巨人軍が
11月2日8時に来日したといった記事はありました)
何かに載っていないかなと探してみたところ
『宇佐美徹也の記録 巨人軍65年』に
点数と投手名が載っていました。
宇都宮での結果は
14対5で全米軍の勝利
この日の投手はブラウンと沢村だったそうですよ。
その後、戦時中に常設野球場は
畑や高射砲陣地にも利用されていたのだとか。
戦後は宇都宮市野球協会の協力を得て
整地改修されアマチュア野球や市民体育祭など
幅広く利用されていたそうです。
この碑には
昭和22年に撮影された
田園風景の中の宇都宮常設野球場の写真も
刻まれています
この写真は当時テストパイロットだった
宇都宮市新町にお住まいの方が
撮影したものだそうです。
ちなみに、宮の原小学校は
昭和45年4月1日に西原小学校から分離し
球場跡地に開校しています。
日米野球戦が行われた場所にあるなんて
野球少年たちには憧れの
夢のある素敵な学校ですね
12月17日 猫さんにはお会いできませんでした
みやねこ常設にゃ球場
~今日のルルルくん~
袋をカシャカシャして遊んでました
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