初めて読ませて頂きました。私は本文にて出て来る駿の兄の新です。
細かい事ですが、本文中に誤りがありましたので蛇足とは思いますが、
折角ですので、訂正させて下さい。
・航空機製作の会社は「叔父」ではなく「伯父」とです。
・御殿場病院は「別荘」のあった所で、終戦間際には申請一同が住んで
居まして、終戦は此の地で迎えました。
・工場は国鉄の鹿沼駅に近い川のそばにあり、「帝国製麻」という会社
に売ったと聞いています。
・宇都宮空襲は東京空襲と違って、鹿島灘から上陸し、宇都宮の東から
西に向かいながらの空襲でした。
ですから、私達が鹿沼に向けて軽トラで逃げる方向に空襲していた訳 です。
宇都宮のついでに西に位置している鹿沼を爆撃したのです。
そのせいで、軽トラの走る道の回りには焼夷弾が雨の様に降っていま
した。
私は荷台から進行方向の右の景色を眺めていたのですが、駿は左側の
同じ様な景色を眺めていたのです。
・宇都宮空襲から軽トラで脱出する時に「助けて下さい」と声をかけて 来たのは、ご近所の田口さんのお父さんで、抱いていたのは末っ子の
礼子ちゃんでした。
・西小学校が空襲で焼けてしまい、西原小学校へ二部授業に通ったのは
どうやら低学年だけの様ですね。
その点に気がつくと、確かに高学年の生徒は見かけた覚えがありませ ん。
大した間違いではありませんが、知っていて間違いを受け入れるのも気がとがめまして、此のメールになりました。
尚、松ヶ峰の家は、私が小学校に入学した時から五年生が終わるまでの
子供時代を過ごした思い出の大きい家です。
それにまして、思い出の大きいのは、宇都宮空襲で鹿沼の別荘に移り住んだ、約半年で忘れられませんね。
駿は未だ三歳半から四才までの幼児期ですから覚えていないでしょうが
細かい事ですが、本文中に誤りがありましたので蛇足とは思いますが、
折角ですので、訂正させて下さい。
・航空機製作の会社は「叔父」ではなく「伯父」とです。
・御殿場病院は「別荘」のあった所で、終戦間際には申請一同が住んで
居まして、終戦は此の地で迎えました。
・工場は国鉄の鹿沼駅に近い川のそばにあり、「帝国製麻」という会社
に売ったと聞いています。
・宇都宮空襲は東京空襲と違って、鹿島灘から上陸し、宇都宮の東から
西に向かいながらの空襲でした。
ですから、私達が鹿沼に向けて軽トラで逃げる方向に空襲していた訳 です。
宇都宮のついでに西に位置している鹿沼を爆撃したのです。
そのせいで、軽トラの走る道の回りには焼夷弾が雨の様に降っていま
した。
私は荷台から進行方向の右の景色を眺めていたのですが、駿は左側の
同じ様な景色を眺めていたのです。
・宇都宮空襲から軽トラで脱出する時に「助けて下さい」と声をかけて 来たのは、ご近所の田口さんのお父さんで、抱いていたのは末っ子の
礼子ちゃんでした。
・西小学校が空襲で焼けてしまい、西原小学校へ二部授業に通ったのは
どうやら低学年だけの様ですね。
その点に気がつくと、確かに高学年の生徒は見かけた覚えがありませ ん。
大した間違いではありませんが、知っていて間違いを受け入れるのも気がとがめまして、此のメールになりました。
尚、松ヶ峰の家は、私が小学校に入学した時から五年生が終わるまでの
子供時代を過ごした思い出の大きい家です。
それにまして、思い出の大きいのは、宇都宮空襲で鹿沼の別荘に移り住んだ、約半年で忘れられませんね。
駿は未だ三歳半から四才までの幼児期ですから覚えていないでしょうが
by 宮崎 新